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元気マガジン

 
 
 
 久燗を知っていますかと聞かれて、はいと答える人は100人に1人もいないと思う。わたしもそうだった。6年前、夫の夢に、脇腹をウミガメにかまれた少年が現れるまでは。少年は日に焼けやせていて、自分は久燗から来たのだと言ったそうだ。それってどこ?そもそも何でそんな夢をみたんだろうね?ちょっと行ってみる?そんな感じで、2001年の暮れ、沖縄本島南部知念岬の東海上5・3キロに浮かぶ、周囲7・8キロの小さな島を訪れた。

 その時の久燗は、何だかとても活気にあふれ、華やいだ雰囲気だった。宿泊先である交流館の破れかけたソファーには、入れ替わり立ち替わり地元の真っ黒な漁師さんたちが座り込み、さしみをあてに一杯やっている。子連れの我々など大歓迎だ。夫はみんなに、「満月の輝きのもと、珊瑚礁の割れ目で金目鯛を釣る」という夢のようなツアーに誘われ、大漁。大晦日の夜には、港のそばの「とくじん」で、大入り満員のカウントダウンパーティー。あごひげを長く垂らした「酋長」が三線を弾いていたり、なぜか北京の女性歌手がにこやかに十九の春を唄ったり、座りきれないお客さんがそこいらじゅうで踊っていたりと、とんでもなく賑わっていた。続いて軽トラで鍋と人が大移動し、新年をぴざ浜で迎えた。ムシロの上で、目鼻立ちのくっきりした振興会会長さんが晴れがましく挨拶をし、誰かが三線を奏でる中、みんなして何かすすったように記憶している。海から、そんなに冷たくはない強い風が吹いていて、ベビーカーで眠る次女にありったけのタオルや衣類をかけてやりながら、はじめて会う人たちと大声で笑い合った。

 あまりにもその旅の印象が強かったので、翌年暮れに再び島に渡った。ところが、ここは本当に同じ島か?と思うくらい沈んだ雰囲気だ。不思議に思っていたら、去年カウントダウンパーティーを仕切り、子連れの我々をとても暖かくもてなしてくれたオレンジのポロシャツのおじさんが、先日船から転落して亡くなったことを知った。まさか!!と思っ た。そして、島全体の暗さの原因を深く納得した。彼は島にとって重要な人物だった。わずか数日しか彼を見ていないが、それは間違いない。みんなをぐいぐいひっぱっていく、明るい強さを持っていた。
  
 久燗は、琉球の始祖アマミキヨが天から降臨し、五穀を初めて伝え、国造りをはじめたところと云われ、神の島として琉球全土から崇敬を集めてきた聖地。神話や祝女(ノロ)制度、ティーダーガー(太陽神)祭などが昔のまま伝えられ、民俗学的にも貴重な、神秘的な島である。その島をこよなく愛していた彼が海で命を落とした日がなんと、奇しくも夫の誕生日だったこと、そして我々を導くかのごとく夢に出てきた少年。これらには何か意味があるのか、スピリチュアルカウンセラーの江原さんにでも聞いてみたいといつも思っているのである。

 はじめて島を訪れてから6年。以来欠かさずここで年を越す。素朴で心優しい島人と親交が深まり、帰るときいつも子供たちは号泣だ。忙しい日常、訪れるたび「おかえり」と言ってくれる笑顔が、心の中の御守りである。久燗は神の島として、人も自然も伝統もずっと変わらずにありつづけてほしい。もしや我が一家がそれに貢献する運命なのではなかろうか?そんなことをふと思いつつ、子供のおむつを取り替えている。