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平家の姫、櫻の宴  愛媛・松山市 S.O

 昨年の4月、夕陽を撮りたくて息子を誘った。 八倉から大谷池の梺を伊予市へ車を走らせた。見慣れているはずだが、山里の夕景は、どこか物悲しく郷愁をそそる。我々は、五色浜をターゲットに夕陽を狙う 事にした。
今日はやけに風が吹きすさぶ。太陽が沈むあたりに向け三脚を立てカメラを固定する。
身震いする寒さである。瀬戸内海にしては珍しい荒波が、激しい音を立 て防波堤に砕け散る。その度に、白い無数のしぶきがキラキラ輝きながら四方に飛び散る。
3〜4人いた釣り人達も、早々の態で去って行った。水平線に接近した赤い太陽は、ものの10秒ほどで、あっけなくその姿を消してしまった。私は上着の襟 を立て、かじかむ手で無心にシャッターを押し続けた。
もうすっかり、夜の帳が辺りを包み込んでいた。カメラの三脚を固定したまま、私はとりあえず車に転が り込んだ。息子は、車内の私におかまいなく、カメラを担いで車を通り過ぎて行った。
10分も経っただろうか。さすがに寒空の息子が心配になって、車外にでてみる。

すぐそばに小高い丘があった。石段を上り詰めたところで、私はハッと息を呑んだ。松林の中に櫻が見事に咲 き乱れているではないか。無数に吊るされた提灯が、人気のない辺り一帯を煌々と照らしていた。私は寒さも 忘れて、提灯群の下をそぞろ歩いてみた。
優美な絵巻の世界
 すると、ある一角におぼろげながら酒盛りの集団を見た。
白い着物の女が黒髪を短く後ろで結わえ、口を押えているようだ。着物姿の女が数人、混在して男も数人確認 できた。密かに会話らしきことばも聞こえるが、どんな内容なのか理解できなかった。全てがゆったりとしていて、物腰やわらかく品性に満ち、優美な絵巻の世界に舞い込ん だ気がした。ひざ元には、酒と質素な肴が置いてあったが、誰も手を付けていない様子だった。
私は、より近くで集団を見ようと歩を進めたとき、「父さん、帰ろうか」息子 の声に我に返り、声の方向を見た。直ぐさま振り返ったが、先ほどの光景はすでに消え失せていた。
再び車に乗り込み、冷えた身体をしばしエアコンの暖房で温める。

 その昔、源氏に敗退し、この地に逃れた平家の5人の姫と、その付き添いと、数人の残党たちがこの海岸にたどり着いたという。お家の再興に夢を抱きながら、里人らの庇護を受け不自由なく生活していた。しかし、再興の叶わぬことを知った5人の姫は、悲しみにのうちに海に身を投じたという。
車窓から見上げても、ここからはもう満開の櫻も、おびただしい数の提灯も、眺めることはできない。
丘の上がほんのりと鈍く明るいいだけだった。車は丘に沿った道をカーブしながら走る。丘の外れに、5人の姫を祭る社が並んで建っている。家路を急ぐ車内で、私は、先刻の光景を息子には話さないでいた。
あの厳かな宴のために、里人が心を込めて舞台を用意したのに違い無いと、私は今でも信じている。